国立公文館 デジタルアーカイブから引用しています。
肥前州産物図考は「肥前国唐津藩の主な産業について、色彩画を添えて解説した図録です。作者の木崎盛標(きざきもりたか)は正徳元年(1711)の生れ、宝暦十二年(1762)三河国岡崎から入った水野忠任にしたがって唐津に来往し、軍学をもって同藩に仕えました。62才の安永2年、見聞した捕鯨の状況を「鯨一件の巻」に記したことが同書の最初になります。
その後、安永二年(1773)から天明四年(1784)まで十余年をかけて、詳細な挿絵を添えて本書が書かれたことが知られています。」
馬渡島についての「肥前国唐津領馬渡島馬牧並駒捕」、「肥前国唐津領馬渡島鹿狩並鷹巣等」がある他、「捕鯨」、「石炭・焼物大概」、「鵜飼之図・生海鼠桁之図・鮎魚簗之図・掛網之図」、「海豚漁事・鮪網之図・鯛網・海士」、「布晒・鋳物師・線香製」、紙漉大概」があります。
「肥前国唐津領馬渡島馬牧並駒捕」には「馬渡島(まだらじま)では、唐津藩による馬の放牧が行われていました。毎年2月に行われていた、放牧地から馬を集める駒取りの様子が描かれています。」
「肥前国唐津領馬渡島鹿狩並鷹巣等」には「馬渡島に数多く生息していた鹿と鹿狩りの様子を描いています。また、猪がニタ場で泥を身体に塗りつける習性を利用した「ニタ打」という猪狩りや断崖に作られた鷹の巣から鷹の雛を捕獲する「鷹巣」の様子も描かれています。」
※ 馬渡島の集落の地名のひとつ「ニタ松」はこの「ニタ場」関係があるのではないでしょうか。
「唐津から二十五キロほど離れた玄海灘に浮かぶ小川島で行われた捕鯨の状況を記載したものです。
多くの人々の組織立った労働と多数の網・船を必要とした大規模な作業の一部始終、鯨体各部の利用方法、大漁踊にいたるまで詳細を極めて描かれています。」
「肥前国唐津藩における採炭から船積までの石炭採掘の過程を描いています。
間歩と呼ばれる坑内の様子から、排水方法、四輪車を用いた運搬方法等が、詳細に描 かれています。
もう1つは、江戸時代大甕の産地として有名であった、押川窯(佐賀県相知町)の様子を描いたものです。土作りからろくろ成形、窯焼の様子、焼成後の検品等 の過程が記されています。」
「松浦川や玉島川での鵜飼の様子を描いたものです。
煎海鼠(干した海鼠)は、俵物と呼ばれ、重要な輸出品でした。
生海鼠桁之図は、桁状に組んだ丸太に網を固定し舟で引いて、砂泥地の海底から海鼠を救い上げる漁法です。」
「海豚漁の群れを捕獲する「追い込み漁」の様子を描いたものです。
音に敏感な海豚の習性を利用して、棒で海面や船縁を叩いて群れを追い込みます。
鮪網:鮪を捕獲するための大型の定置網です。開口部は約135m、魚群が入ると網口を引き上げ逃げ口をふさいで、鳶口で舟に魚を引き上げました。漁は秋から翌春まで行われました。
鯛網:鯛網漁は「地漕網」とも呼ばれる古くから行われた漁法です。江戸時代には瀬戸内海沿岸・肥後・薩摩等で広く行われていました。」
「唐津城下の丁田川行われていた布晒しや線香作り、唐津郊外で行われていた鋳物つくりが描かれています。」
「天明4年(1784)に書かれた、和紙の詳しい製法書としては最初のものと言われています。
原料として楮(こうぞ)のほか雁皮(がんぴ)が記され、唐津藩 で雁皮紙を漉いていたことを推測させます。繊維に混ぜる粘剤(ねり)や製法を多くの絵図とともに解説しています。最後には反故(ほご)を漉き返す法を記し ています。」
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