馬渡島港の発着場を降りて真正面に馬渡島観光休憩所がありますので、ご利用下さい。
島内にはタクシーなどの交通手段がまだ整備されていませんので、ウォーキングとなりますが散策を楽しみながら島めぐりをして下さい。
レストラン、食堂等の飲食店がありませんので、渡船の前にお弁当の準備を忘れないようにしましょう。
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皆さんにお願いです!
馬渡島にはごみ処理施設がありません。
ごみは運搬船で唐津市内まで運ばれて処理されています。
ごみの持ち帰りにご協力下さい。
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定期船を降りてすぐ右手の防波堤に馬渡小学校の生徒たちが卒業記念に描いた壁画が見えます。
島の生活や生徒たちの夢が描かれています。釣りに行ってこの壁画からいつも元気ををもらっています。
「本村の港を擁ぜる南方の一角に名馬が鼻と称する長いつき出た岬がある。昔、牝馬と牡馬の二つが、たてがみをふりたてて支那大陸から泳ぎついたところで、いつとはなしに島の名を馬渡と呼ぶようになり、その馬が日本最初の馬であったとも伝えらる。」と「謎の馬渡島」に書かれたところです。
肥前国産物絵図の「馬渡島馬牧の図」に描かれているように唐津藩寺沢志摩の守の時代に、馬渡島では軍馬が生産され、ここから馬が積み出されました、ここでは、藩主が指さした名馬を捉えた者に賞金を出したといわれている春駒獲りが行われました。
番所ノ辻がある所は標高238mで馬渡島で一番高く、それぞれの時代に応じて、防衛、捕鯨等の見張り台や狼煙台となっていました。晴れた日には360度のパノラマの展望が素晴らしく、玄界灘の島々ばかりでなく、遠く韓国も眺望することができます。特に日本海に沈む夕日には感動ものです。
管理者が映画「裸足の青春」を撮るとしたら、三吉とキクのデートの第一候補としたい場所です。
馬渡島教会は定期船発着場から徒歩で約30分の所にあります。
「カトリック福岡教区」のホームページによれば「馬渡島の最初の信者は、長崎件西彼杵郡外海地方から移住してきた人たちで、文久元年(1860年)にさかのぼるとされる。7年後の慶応3年頃、亀蔵、倉吉、定四郎、元助ら馬渡の4人の信者が信仰のため唐津の牢に入れられたことがあるという。 明治12年までは外人宣教師は自由に国内を旅行できなかったので、馬渡を訪れる司祭はいず、信者たちがひそかに長崎に出かけていった。 (中略) ペリュー神父時代の明治14年馬渡に初の聖堂が建設され、これがマトラ神父の手で拡張され、同時に司祭館も建設された。また同神父によって長瀬に、牧山リキら4人で授産場がつくられた。現在の聖堂はブルトン神父が昭和4年、平戸紐差の聖堂を解体して建て直したものである。」とされています。
現存する木造の教会では日本で最も古い教会建築物であるといわれています。
〒847-0405
佐賀県唐津市鎮西町馬渡島1767
☎0955-82-9044
聖母園は家庭環境、養育環境に恵まれない児童を対象として、キリスト教的人間観、社会観に基づいて養護し、将来正常な自立、自活の社会生活ができる素地を養成することを目的につくられた児童養護施設です。
馬渡島の恵まれた自然の中で強い身体と優しい心を育むことを目指しています。
地域の協力と支援を得ながら、地域に開かれた運営に努めて馬渡島の福祉のシンボルとなっています。
皆様方の温かいご支援をお願いします。
〒847-0405
佐賀県唐津市鎮西町馬渡島1638
☎ 0955-82-9009
馬渡島の婦人たちが島の家庭の味を商品として手造りで作っています。
特に潮豆腐は玄界灘の海水を使った独特の造り方です。
他の製品と合わせて一度ご賞味下さい。
詳しくは まだら夢工房 のページへ!
〒 847-0405
佐賀県唐津市鎮西町馬渡島1-7
☎ 0955-82-9117
海での漁の安全と安産の神として島の女性の厚い信仰を集めています。
また、旧暦の3月21日と7月21日には宮本地区のお婆さんたちを中心として、数名ずつ順次に集落全域にある88箇所の石仏、祠堂を半日間かけて巡礼が行われています。
旧馬渡神社には馬渡島の領主だったいう本馬義俊公を祭っていて八剣神社といっていましたが、島内の五つの神社を合祀して現在の馬渡島神社(住吉神社)となっています。
7月の祇園祭と10月の「馬渡島くんち」には、現在でも五社の幟が境内に立てられます。
「馬渡島くんち」は神輿巡幸が行われます。馬渡神社を出発し、小中学校へ回り、墓地の真下で休憩した後、港へ下って入江に沿って旧山ノ神神社に回り、折り返して漁協前で漁船3隻に神輿を積み替え、防波堤の内側を船頭回り(時計回り)で3周した後船から下ろされて最後に馬渡神社に戻ります。
神社の宝として義俊公の八大龍王の剣が残されています。
馬渡島の周辺海域も元寇の時の舞台になりました。ここは西海岸を一望でき、番所ノ辻とともに見張り台となりました。
ここに立てば蒙古軍の襲来が目に浮かぶような気がします。そんな感じがする展望台です。
秀吉の朝鮮出兵の時に夢中で釣りをしていて出兵の船に乗り遅れてしまって、切腹を余儀なくされた8人の兵士の「八人墓」があります。
お堂には丸い2つの石を大切に祭っています。戦争の歴史の重さを感じさせます。
文永11年(1274年)の元寇の役で、蒙古軍は対馬、壱岐に続いて馬渡島にも侵攻しました。島民は必死に応戦しますが、城山の方に追い詰められてしまいます。その時一人の老婆が力を振り絞って投げた大石が蒙古軍の大将に当たり、蒙古軍は撤退したという逸話があります。
その時の石だといわれているのがチョンギー石で、将にビクトリーストーン(勝利の石)に相応しい石です。
漁港(本港)の防波堤の突端に大漁と安全を守る恵比寿様がいます。
以前は馬渡神社の鳥居脇にあったようですが、1980年代の漁港整備の時に新たに作られました。